○木版画の歴史
江戸時代18世紀中期に始まった多色摺木版画は、やがて錦絵と呼ばれ浮世絵が生まれました。そして、18世紀後半には、歴史的版元「蔦屋重三郎」が登場し、鳥居清長や喜多川歌麿、東洲斎写楽らをプロデュースし、全盛期を迎えます。浮世絵は、やがて海をわたり、ヨーロッパでは印象派の画家たちに大きな影響を与えることになります。この江戸時代に生まれた浮世絵技法は、鎖国をしていた時代背景もあり、世界のアーティストからは、未だに「唯一のジャパンオリジナル」と評価されている。
明治以降の浮世絵は、海外からの影響も受け、様々な方向を模索することになります。そして、大正時代には、歴史的な版元の二人目として「渡辺庄三郎」が、「ザラ摺り」など独自の特徴ある技法を取り入れつつ、伊東深水や川瀬巴水、山村耕花など新たな絵師を発掘し、新しい浮世絵を制作するようになります。この時代を美術史上では「新版画」と呼びます。
その後、美術の大衆化により、戦前戦後にわたり、作家自らが自彫自摺りをする「創作版画」が主流となりますが、製版や印刷に関するテクノロジーの急激な進歩により、古典的な印刷技術である版画は衰退期を迎えます。
戦後、衰退する工房製作の版画界にあって、僅かではありますが、新しいスタイルの木版画製作が続けられていました。この戦後の木版画は、戦前までの浮世絵とは大きく異なります。これまでの浮世絵は、版元主導で制作され、作品は作家よりも版元の意向が強いものであったことに対し、戦後に生まれた新しい浮世絵は、版元は一歩退き、作家の特徴を生かすために彫師・摺師との繋ぎ役に徹するという点に違いがあり、制作される木版画は、作家個々の意向が強く表現されることになります。これらの、戦後コンテンポラリーな木版作品群を、私たちは「NEO-UKIYOE(ネオ-浮世絵)」と呼んでいます。
○NEO-UKIYOEの誕生
その始まりは、1979年に東京都中央区銀座にあった浮世絵専門美術館「リッカー美術館」において開催された実験的企画『木版&現代』であったと思われます。1980年代後半より、画家がオリジナル作品を制作し始め、現在では海外アーティストを含め、国際的に活動するイラストレーター、グラフィックデザイナー、建築家、画家、現代美術家など多彩なジャンルの芸術化が作品製作を試みており、今後の革新的アートのカテゴリーとして注目されています。